Battle Abbey
ベネディクト修道会
天下分け目の古戦場に建つ修道院
1066年10月14日、アングロ・サクソン人と侵入者ノルマン人との間に戦われたいわゆるヘイスティングの戦いの跡に建てられた修道院

四隅に聳え立つ八角形の小塔四本を備え、壁には窓の代わりに十字の矢狭間を持ち、
頂には胸墻を有する壮大な城門。

アングロ・サクソン最後の王となったハロルドは、激戦中ふと見上げた空から落下してきたノルマン軍の矢が目に刺さり、抜こうとしているうちにノルマンの騎士に刺殺された。敵将ウイリアムは、ハロルドを弔うためにこの地に修道院を建てたのである。

大陸から侵攻したウイリアム率いる七千のノルマン軍が、ハロルド王率いる同じく七千の兵を打ち破った決戦場。修道院の南側に広がる戦場跡大陸から侵攻したウイリアム率いる七千のノルマン軍が、ハロルド王率いる同じく七千の兵を打ち破った決戦場。

リアドーターは右側のアーチの上部にあった。通常トイレは水洗であったが、この地は高台にあったため水利が悪く、汲み取り式であったと考えられている。

右奥はウエスト・レンジ(西棟)であったが、現在は名門女子高バトル・アベイ・スクールとなっている。
バトル、東サセックス、イングランド
Battle, East Susssex, England
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